昔は相撲の土俵は内側・外側の二重だった。

日本の国技とされている相撲。相撲の競技場である土俵のサイズは、直径15尺(約4.55m)と決められています。でも、相撲が現在の競技形式となった江戸時代の土俵のサイズは直径13尺(約3.94m)でした。

これは大人2人が両手を伸ばして手をつないだ長さを基準としており、それを直径にして描いた円の中で取組を行うことが適していたためだそうです。さらにその外周には直径15尺の土俵があり、2つの土俵の間は砂で埋められていました。この砂で、先に土俵から出た力士の足跡を行司が確認できるようになっていました。つまり、土俵は内側と外側の二重円構造になっていたのです。

しかし、1931年に昭和天皇が相撲の観覧に訪れたときから、内側の13尺の土俵を取り払って外側の15尺の土俵だけに改められました。この理由は当時、身長が180㎝を越える体格の大きな力士が活躍しており、狭い土俵だとすぐに勝敗が決まってしまうので、少しでも長い時間相撲の取組を観覧してもらえるよう配慮したからだとされています。

1945年には土俵の直径が16尺(約4.85m)になったこともありましたが、力士たちの反対で1場所限りですぐに15尺に戻され、現在の形が定着しました。