串団子が1本4個になったのは江戸時代の貨幣だった!?

皆さんは串に刺したお団子は好きですか? スーパーなどで販売されている串団子は1本の串に4個のお団子が刺してあるものが多いですね。これはなぜだか考えたことはありませんか?

実はこの理由は、江戸時代の貨幣にあるのです。江戸時代の貨幣で庶民によく流通していたのが一文銭と四文銭です。最初は一文銭だけが発行されていましたが、やがて四文銭が発行されると、こちらが多く使われるようになりました。四文は現在の100円ほどで、使い勝手が良かったからです。

江戸時代にも現在の100円ショップのような「四文屋」という屋台があり、天ぷらや煮魚などの総菜をどれでも1つ四文という均一料金で販売していたようです。

四文銭の流通で、いろいろなものの値段が変わってきました。たとえば江戸時代後期のおそば屋の料金を見ると、「そば 十六文」「あられそば 二十四文」「天ぷらそば 三十六文」とすべて四の倍数になっています。

お客は四文銭を何枚か持っていれば数枚で支払うことができ、すべて1文銭で支払うよりも短時間で支払いを済ますことができ、またお店の人も細かいおつりを渡す手間が省けるのでとても合理的です。

こうした流れの中で、串団子の値段も四文になりました。もともと1本の串に5個のお団子を刺して五文で売られていましたが、支払いが四文銭だけで済むようにお団子を1個減らして1本四文になりました。現在でも串団子は1本につきお団子を4個刺しているものが多いですが、そのルーツは江戸時代の四文銭の流通にあったと言えますね。

ところで落語に『時そば』という話があります。1杯十六文のおそばを食べた男が代金を支払いますが、持っているのはすべて1文銭。屋台の主人の前で「一、二・・」と数え始めました。

「八つ」まで数えたところで男が主人に「今、何時だい?」とたずねます。主人が「へい、九つで」と答えると、男は続いて「十、十一・・」と十六まで一文銭を数えて帰っていきました。九つ目で銭を置かなかったので、支払った額は一五文。主人はまんまと騙されてしまいます。

「九つ」は江戸時代の時刻の数え方では深夜の午前〇時あたりを指します。江戸の町では夜遅くまで営業している屋台が多くみられました。一文かすめるためなら悪知恵を働かせて一文銭をたくさん持ち、時刻の数字を巧みに利用して代金をごまかすこともいとわなかったのですね。

この話には続きがあって、この様子を見ていた別の男が自分も得をしようとして同じことをしますが結局失敗するというオチになっています。江戸の庶民は数字をさまざまに楽しんでいたようですね。